「パウロは・・大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した」使徒14:10

パウロたちが、ルステラでの宣教時のこと、足の不自由な男性が座っていた。彼は、生まれて一度も歩いた事がなかった。歩けなかったのだ。その彼が、パウロが語る言葉に、じっと真剣に一心に聞き入っていた。パウロは、彼に目を留めた。彼の内に、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。

 

すると一度も歩いた事の無い彼が、飛び上がって、歩き出した。奇跡が起きた。彼はパウロの言葉を信じ、自分の身を任せ、言われた通りにした。すると立ち上がる事が出来て、歩く事が出来た。彼の信仰だった。彼は、自らの足に関しては、完全に無力だった。生まれてこのかたずっと何も出来なかった。叉、何の方法も無かった。そしてこれから先も、全く何の希望も持てなかった。逆に、だからこそ、パウロの言葉に全身ですがりついた。

 

もし望みが他にあって、何らかの手段があれば、それらに頼っただろう。何でもしただろう。しかし彼には何も無かった。彼には、このパウロの言葉がすべてであった。そこに全身ですがった。彼は、その言葉を信じ、従い、立とうとした。すると、そこに神の力が臨んで。奇跡が起きた。

 

もし彼が「そんな事、有り得ようか。今までどうにもならなかったのに。」と思えばどうだろう。まず決して立とうとはしない。しかし彼は、パウロの言葉を受け入れ、信じた。だから立とうとした。私たちも、主を信じ、一歩を踏み出すように、言われているだろうか。

 

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振り返る時、主のみわざを見たのは、無力の時であった。無力の底で、信仰が生まれ、信仰が与えられる事を経験して来た。力があれば、主に頼らずともやって行けるので、自分の力で生きて行く。主を頼らざるを得ない状況こそが、実は大きな祝福へと展開して行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係