「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます」詩篇18:28

ある人が、職場の上司の事で悩んでいた。ワンマンで、すぐ大声で怒鳴る。仕事量は多く、余りのストレスに倒れそうだった。いつしかイライラが怒りとなり、不満が爆発しそうだ。祈れなくなり、御言葉も入らず、平安が全く無かった。どうにもならず、悶々状態で、主に助けを求めた。

 

心の内を打ち明け、祈っていると、「他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている」との御言葉が臨んで来た。「え!」と驚き、戸惑った。自分は正しく、悪いのは上司、性格の悪い上司の問題としか見えない。だが御霊に心の内を照らされた。ずっと上司を裁いている自分に気づかされた。

 

自分の姿など考えた事も無かった。裁くからつらいのだと語られた。その罪を認め、悔い改めた。その時、心がすっきりして、平安が戻った。重苦しかった心が平安にされ、それは何ものにも代えられない喜びだった。そして主と共に、上司にも仕事にも対応出来るようにされた。

 

また、ある人も、トゲのあるキツい物言いや態度の相手がいて、傷ついて嫌な思いをしていた。祈っていると「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」に、そうだ、相手は、わからないのだからと思った。そして更に主と交わっていると、これは相手の事でなく、自分の事だとわかった。

 

嫌な相手を内心裁き、ひどく憎み、嫌悪していた。だから自分が苦しかったのだと。自分と主との関係がすべてだと学ばされた。そこから平安が来る。

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信仰生活、罪がわかるだけに口に出さなくても、自分は正しいに立ってしまいがちだ。気づくと心の中で裁いている。平安がないのはは私の心のやみではないのか。気づかされ一つ一つ悔い改めたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係