「そしてイエスは言われた。『聞く耳のある者は聞きなさい』」 マルコ4:9

人は、本当の事を、真実を指摘される時、耳をふさぐと言われている。痛い事は聞きたくないからだ。ステパノが議会で弁明をした時に、証しをし、はっきりと真実を述べた。その時、ステパノの弁明で、「神は手で造った神殿には住まない」「あなたがたは頑なで心と耳に割礼を受けていない」「いつも聖霊に逆らっている」「正しい方を殺す者となった」「律法を受けたが守ったことがない」と真っ直ぐに語った。

 

それは人々を激怒させ、「はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」。そして「人々は、大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した」。ステパノの語った言葉が、正しかったがために、人々は怒り狂った。そして「天が開けて、人の子が神の右に立っているのが見える」と、イエスがメシヤである事を大胆に、証しした時に、迫害者たちは、石で打ち殺してしまった。

 

それは、彼らの隠れた姿をあらわにされたからだった。だから抹殺してしまった。人は、真実を指摘される時、心を閉じてしまう。真実と向き合いたくないからだ。真実を、真の自分を見ようとしない人は、真実の言葉を恐れる。聞きたくない。避けて、シャットアウトする。しかし聞く耳を持たないなら、自分をごまかしている事になる。成長して行く事が出来ない。

 

主は「耳のある者は聞け」と言われ、御言葉に真正面に向く時に、それは痛いが、それにより自分が変えられて行く。成長して行く事ができて、御霊の実を結んで行ける。

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御言葉によって豊かに変えられ成長したい。聞きたい事だけを聞いていても人は生きていけるが何の成長もない。心を空にして主の御言葉を聞こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係