「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」マタイ7:25

山上の説教の最後で、主は、土台の事を話された。二種類の土台があると。二つの家があり、外観は同じに見える。しかし土台が違った。一方は「岩」で、もう一方は「砂」だ。そして岩の上に建てるのが、賢い人で、砂の上が愚かな人だと。順境の時は、二つの家は外側が同じなので、見た目には何も変わらない。

 

しかし風雨の逆境の時に、違いが明白になる。私たちの人生、必ず試練が来る。病気、経済的困難、倒産、対人関係や仕事上の悩み・・突如、襲われる。その時に、岩の上の家は、絶対に倒れず、嵐の中も耐え、乗り越えて行く。しかし砂の上の家は立ち行けずに、倒れてしまう。様々な問題が起きた時に、岩の上ならどんなに困難であっても必ず立ち行ける。

 

が、砂の上なら崩壊してしまう。更にその倒れ方はひどいと。岩の上に家を建てるとは、神の言葉を聞くだけでなく、実行して行くことだ。砂の上に建てるとは、御言葉を聞くのだが、行わない。そこまで、生活や自分を変えてまで、従う気はない。山上の垂訓の最後にこの箇所が出て来る。「あなたの敵を愛せよ」など、自分の力、人の頑張りでは不可能だ。

 

しかし自分の力で行うのではない。主にとどまる時に、御霊が成し遂げて下さる。自分にはできない。だが祈って行く時に、取り扱いを受け、一つ一つと成し遂げられて行く事を経験する。そして御言葉を行って行く事が、主を愛する事だ。主を愛する人のためには、すべての事を益として下さる。

 

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聞いた御言葉を実行して行く事が、岩の上に家を建てることだと。すると厳しい試練が来た時も、必ず乗り越えて行けると。それは御霊によらなければ実行出来ないので、主にゆだねて拠り頼む事が必要だ。「ゆだねられるように」が、今の祈りだろうか。祈って行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係