「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」詩篇30:1 1

詩篇によると、ダビデは嘆いている。自分の嘆きを注ぎ出し、苦しみや痛みをことごとく御前に言い表している。涙は止まらず、いら立ちで衰え、敵の攻撃に弱っていると。弱り果てて、疲れきった姿をありのまま出している。クリスチャンはいつもニコニコしていると思っていたら、ほど遠い姿だ。やせ我慢をするのでなく、素直に率直に、感情も言い表している。

 

悩みや問題の無いふりをしていない。「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」嘆いて、うめいている。気持ちを抑え込むのでなく、それを主の前に言い表わしている。ダビデのように私たちも、気持ちを抑え込まずに、主に告げよう。「すると、主は私の声を聞いて下さる」と。主にありのままことごとくを告げて行く時に、「泣く声を聞かれ」「切なる願を聞かれた」。

 

主が私の祈りを受け入れて下さったと、平安にされている。そして「嘆きを踊りに買えて下さった」「荒布を解き、喜びを私に着せて下さった」と。私たちも経験する。主に気持ちを、思いを、嘆き、悲しみ、苦しみ、怒り、思い煩い、不安・・率直にありのまま告げて行く時に、段々気持ちが落ち着いて来るから不思議だ。状況は変わらず、同じままだが、動揺し、恐れで支配されていた心が、変えられて、大丈夫だと思えて来る。

 

状況と自分しか見ていない目が、状況と自分から目を離し、主を見上げるところから来る平安だ。主に聞いて頂いたという事で、安堵が来る。祈りに持って行けたので、主がこの事態を、主の思われる最善に導いて下さるとの信仰が来る。主に行き当たりばったりはなく、ご計画を持っておられる。どのように導き、良くして下さるか、待ち望もう。嘆きを踊りに変えて下さる。

 

・・・・・・・・・・・・・

目の前の苦しみや悩みを、必ず主は踊りに変えて下さる事を見つめて、信じていよう。つらい、苦しい、悲しい、気持ちを主に告げよう。不思議だが、あれほど苦しかった心が、ふっと違って来る。祈りを積みつつ、状況を見て行こう。時間を経ながら、祝福へと導かれて行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係