「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」コロサイ3:23

日々に何かをする時に、どうだろう。人に対してしているのだろうか。それとも、主に対してだろうか。主に対してするようにと言われているのだが、しばしば逆で、人に対してしているだろか。目に見えない主よりも、目に見える、目の前の人を意識してしまう。人のごきげんとりのごとき、うわべを繕うのでなく、主のしもべとして、心から御心を行うようにとも言われている。

 

どのような仕事であれ、主のためにしているとの意識が大切だ。日々同じ事の繰り返しかも知れない。毎日同時刻に電車に乗り、同じ机に座り、同じ仕事を繰り返す。主婦は毎日、掃除し洗濯し、片づけ食事を作る。平凡で変化のない生活かも知れない。しかしその毎日の同じ事を、主のためにし、主にお献げする事ができる。

 

外側、同じ事をしているが、心が違って来る。ある人は、単調で何の変化も無い日々の仕事に、倦み疲れしまった。面倒なばかりでうんざりし、気持ちも乗らない。正直、いい加減嫌になって来る。ふっと主を見上げた時、「主に対するように、心からしなさい」の言葉が浮かんだ。「主に対するように」も、「心から」も、していない。「ねばならない」ので、ただ目の前の仕事をこなしているだけだ。

 

「していません」と告げ、そして不満や何やかやの鬱積、自分の状態をあるがまま心の中で祈った。ふっと心が変えられて、あれほどうっとうしい、だるい気持ちが、何だか軽くなった。同じするなら、主に喜ばれるように従いたいと思えて、不思議に心が変えられた。

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対人関係や目の前の仕事に主を認めて接するなら、どれ程豊かな人生を生きられるだろう。恵みがあふれている。すぐに主を見失い味気ない思いに陥りやすいが、もう一度御言葉に立ち戻りたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係