「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり・・そこでふえよ」エレミヤ29:5

エレミヤが預言をしていた時代、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連行された。アッシリヤはバビロンに滅ぼされ、ユダも、バビロン捕囚となった。当時ユダは神から離れ、ひどい偶像礼拝に陥り、堕落していた。預言者たちは、耳ざわりの良い、人に受ける心地良い言葉を語った。

 

平安が無いのに「平安、平安」と。しかしエレミヤは神の人であり人々に媚びる事なく、真っ直ぐに、神の言葉を語った。それは人々の耳に痛く、聞きたくない言葉だ。そのためエレミヤは非常に苦しめられた。捕囚の最中、真っ暗闇の中で、彼は語った。一見「災い」でしか無いが、「平安と将来と希望」のためのものだと。

 

即、解放にならないので、その地で腰をすえて生活せよと。そして「その町の繁栄を求め、主に祈れ」と。それは自分たちの繁栄になるからと。私たちも苦しみの時、一番欲しい言葉は「即、問題解決」「即、悩みからの解放」だ。しかし、口先だけの励ましは、更に傷を深める。私たちも同様に、苦しい現状をしっかりと受け入れる時、その中で必ず主の支え、励ましにより生きて行ける。

 

現状を受け入れる事が大切だ。いつまでも苦しみのままでなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」と。試練を受け入れて、主に従って行こう。そこに「主の平安・希望」が約束されている。そして主の時に、かせから解放して下さる。

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長く祈らされ、癒しや解放を求めている中で、いつしか主のご計画だと確信させられる。主のご計画を認め、主はいつもご自分の計画に目を留めていてくださると知る。感謝だ。腰を据えて主と共に歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係