「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」Ⅱコリント5:15

その昔、太陽が、地球の回りを回っていると思われていた。太陽が東から出て、西に沈むので、そのように見える。その時には、その動きは複雑怪奇で説明が成り立たず、わけがわからなかった。ところが太陽ではなく、地球の方が、太陽の周りを回っているとわかった時に、突然すべてがすっきりと解明した。

 

宇宙は今も昔も何も変わらないが、視点が変わる事によって、全く見え方が変わる。これをコペルニクス的転回と言われているが、私たちクリスチャンも、霊的視点の転換が起こる時に、主がわかって行く。この視点の転換によって、問題がすっきりとして行く。

 

信仰者であっても、生まれつきの肉の性質は根深く、自分の欲望が実現する事が、喜びであり、幸せだと思う。だから自分の願望が叶うようにと、懸命に取り組むが、実際はほとんど自分の思い通りにはならない。何度も挫折を味わう。又、仮に思い通りになったとしても、その瞬間の歓びがあるが、その奥には、こんなはずではない虚しさを感じる。

 

そんな事を繰り返す中で、信仰者でありながら、根深く「自己中心、自分第一」に生きている姿に、気づかせられる。自分の価値観と自力の力で生きている。気づきから始まる。「神中心、神第一」に転回して行く時に、何もかもが正しい位置に置かれ、心に真の平安が満ちる。秩序をもって人生が回って行く。自分が変えられて行く。自分は今、どうだろう。

 

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信仰に進めば進むほど、いかに自我が強く、自己中心であるかを知らされる。そしてそのための十字架である事を更に知らされ、感謝に溢れる。自分の無力を知り、主を見上げる時に、御霊が神第一にするように助け、働かれる。無力を知れる事が感謝だ。

 

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係