「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5

ある人が、主の導きを確信し、すべての必要が備えられ海外留学に出た。それが想定外の多額の出費が次々かさみ、次の学年のための資金が不足した。必要は必ず与えて下さるはずと信じ、とにかく祈った。各方面の奨学金も問い合わせたが、道が開かれず、「御心を信じてここに来たのに、どうして?」と、なおも祈り続けるが、与えられない。

 

なぜ?どうして?と、焦りと思い煩いで一杯だ。しかしなおも与えられなかった。もう祈りに祈り、すべき事はしたので、すべてを主に委ねようと思った。そしてこれが主のご意志と受け入れる決心をした。「卒業したかったが、この事を主の御心と受け止め、帰国します」と祈った。すると不思議に、焦りや思い煩いが落ち着いて、すうっーと平安になった。

 

その直後だった。現地の友人から連絡が入った。友人たちがずっと奔走し、何度もかけあってくれていた奨学金が下りたと。結果的にすべての学びを終え、帰国できた。主の取り扱いであった。この事を通して学ばされた。御心なのだからと、自分の力で行っていた事、自分が、自分がと、必死になっていた姿が見せられた。

 

そのためすべてが自分の肩にかかり、重苦しく、平安は無く、イラ立ちと思い煩いで一杯だった。主は自分自身を明け渡す事を望まれ、委ねた時に、平安が来て、必要が満たされた。あなたも今、自分でずっしりと背負っている重荷を、委ねる事が必要だろうか。

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委ねているつもりでも結果はしっかり握ってしまう。祈りながらも最善を自分でつかもうとしている事に気づかせられる。主が閉ざされるならそれも祝福と、全てを委ねていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係