「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」Ⅰコリント9:19

パウロは、ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法の下にある人々にはそのようになったと。それはより多くの人を獲得するためだと。弱い人々には、弱い者になり、すべての人にすべてのもとなった。何とかして、幾人かでも救うためと。

 

このみこころを遂げて行くためには、「すべての人の奴隷となりました」、へりくだりが必要だ。上にではなく、下に立ち、仕えられるのでなく、仕える姿勢が必要だ。水が必ず高い所から低い所に流れるように、恵みは低い方へ、低い方へと流れて入る。

 

肉は、自分が仕えるより、仕えられたい、このへりくだりが最も困難だ。しかし御霊の力によって、変えて行って下さる。ある女性が救われて、福音宣教に燃えていた。持って生まれた行動力があり、人々の救いのためにと、どんどん福音宣べ伝えて行った。実家に行き、妹にガンガン伝えるのだが、妹は内心拒否反応だった。

 

実は姉に、鼻持ちならない上から目線を感じ、威圧感を感じ、受け入れられなかったのだ。時を経たが、その間、姉に厳しい試練が臨んだ。苦しい試練であったが、主の御手により砕きを通された。その後、実家に立ち寄る機会があり、妹に会った。

 

宣教するでなく、幾つか言葉を交わしただけだったが、妹が「お姉ちゃん変わった。今のお姉ちゃん嫌いじゃない」と言った。そして「お姉ちゃんと話したい、話を聞きたい」と。御霊がへりくだりを与えて下さって、証しの下地を造られた。

 

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自分の力でへりくだると、裏返しの高慢になってしまう。主に従って行く中で、試練も通され、一段階〃主が取り扱い、練り、砕き、へりくだらせて下さる。目の前に出来事に対して、すべての道で主を認めて、ご計画と、受け止め従って行こう。成長を与えて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係