「・・神のわざがこの人に現れるためです」ヨハネ9:3

主は、道の途中で生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは、誰の罪によるのかと問うた。本人か、両親かと。主は本人でも両親でもない、神のわざがこの人に現れるためと答えられた。主は地面につばきをして、泥を作り、盲人に塗られた。そしてシロアムの池で洗うようにと。

 

彼はその通りにすると、目が見えるようになった。彼は「何でつばきを?」「何でシロアムなのか?」と納得できる説明を求めたわけでなく、ただその通りに、言われた通りに従った。叉、「今まで見えなかったのに、そんな事をして何になる」と思えば、はなから行かなかったろう。

 

目が見えない中で、シロアムにまで行くのは大変な労力だ。今まで聞いた事のない愛と希望に満ちた主の言葉に触れ、従ってみようと思ったかもしれない。言われた通りにすると、奇跡が起きた。彼はそれが誰であるのか知らなかった。パリサイ人に問い詰められ、最初は「イエスという方」再度問われ「預言者」と答えた。

 

そして「神から出ておられる」と。その時、彼らは、彼を会堂から追放した。主が彼を見つけ出し「信じるか」と問われると、彼は「主よ」と答え「私は信じます」と信仰告白し、主を拝した。

 

「シロアム」は「遣わされた者」との意味で、それはイエス・キリストのことで、神から遣わされた救い主だ。彼が肉眼だけでなく、霊の目が開かれて、主を信じた事が、「神のわざがこの人に現れるためです」、真の神のわざであった。

 

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主に出会えたこと、主を信じる者とされたこと、改めて大きな主のわざであり、自分に現されたことが、何と驚くべきことだろう。感謝しかない。彼は言われた通りに従った時に、見えるようにされた。今、従うべき事があれば、一歩踏み出そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係