「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27

ある人の勤める会社が不景気の中、倒産してしまった。妻子を抱え、貯えも余りなく、途方に暮れてしまった。とにかく次の仕事を探しに探した。当時、不況だったので、なかなか仕事も無く、しかし状況はせっぱ詰まっている。必死で探し求めるが、不合格が続いた。 

クリスチャン夫婦だったので、二人で心を合わせて、真剣に祈った。どうすれば良いのか。子どもたちを抱えて、悶々の不安な日々が続いた。貯えも底をついて来て、段々恐れとなって行った。夫婦で「次の礼拝で、導きを、指針を与えて下さい。それに従います」と心を合わせて一週間祈った。そして礼拝に出席した。

 

その日の礼拝のテーマは「感謝」だった。「すべての事について感謝しなさい」「あふれるばかりに感謝しなさい」夫妻共にメッセージの一言一言が心にしみ入った。そして祈った通りに主に従うべく、感謝を献げた。「主よ。今、仕事が無いことを感謝します。必ず与えて下さることを感謝します」と祈った。すると不思議が起きた。あんなに不安と恐れ、思い煩いにさいなまれた心に平安が臨んだのだ。

 

まだ仕事は無いのに、心が平安になってしまった。まさに夫婦で「主の平安」を経験した。世が与えることのできない、持とうとしても持てない平安だった。感謝が溢れて、喜びが来た。そしてその後良い仕事が与えられた。何より、主を新たに知る恵みにあずかった。

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世が与えることのできない、持とうとしても持てない平安を、私たちは主から直接与えられる。何という慰め、感謝だろう。恐れや心配の中でも、心の底にはいつも喜びがある。主が共におられるからだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係