「妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」使徒5:2

嘘はいけないとわかっていても、人は嘘をついてしまう。なぜ嘘をつくのだろう。虚栄心の問題がある。自分をよく見せたい見栄がある。良い人に見られたい。能力を認められたいし、賞賛されたい。その欲は、本来の自分以上の者に見せようとする。アナニヤ夫妻はバルナバが畑を売って献げた時の、皆の賞賛を見た。

 

自分たちも賞賛が欲しくて、持ち物を売った代金の部分を持参し、全部の振りをした。だがそれは故意であり、偽りであった。ペテロはアナニヤに、サタンに心を奪われ、聖霊を欺いたと指摘した。偽りは聖霊を欺く事だと。妻も同様に偽り、二人共息が絶えた。偽りは悪魔から来る。悪魔は偽りの父だ。

 

信仰に偽りが入り込むと、信仰が立ち行かず破綻してしまう。聖霊の御声と悪魔の声が判別できなくなる。夫妻は献げる事において全く自由であり、これは一部ですと献げれば良かった。そしてまず彼らは何より悔い改める事ができた。又、人は貪欲のために嘘をつく。 

サウル王は、アマレクを打ちすべて聖絶せよと命じられた。が、従わずに最良のものを惜しみ、取っておいた。それが発覚した時に、民による事だと嘘をついた。嘘は、嘘で上塗りをし、何重にも罪を犯して行く。悪魔の攻撃は絶えず来る。いつも祈っていよう。

 

私たちには肉があり、欲がある。悪魔は巧妙に弱いところに誘惑をしかけて来る。祈って主に拠り頼んでいるなら、誘惑に気づかせて下さる。そしてもし偽ったなら、すぐに悔い改めよう。そうするなら主は豊かに赦して、平安を返し、導いて下さる。

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主が最も嫌われた偽善を簡単に行ってしまう。良く思われたいと足りないところを偽っていく罪と弱さを覚え主に頼っていよう。足らないものは足らないといつも正直に主にも自分にも向き合いたい。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係