「兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか」マタイ7:4

相手に非があり、もめ事が起きた場合どうだろう。「あなたが間違っている」と、相手の目のちりを除こうとすると、事は悪化し、ぐじゃぐじゃになる。経験はないだろうか。「そう言う、そっちこそどうなんだ」と反撃が来る。相手のちりを見つけた時こそが難しい。実は、まずこちらがへりくだる事だ。

 

御霊に導かれ、自分をよくよく省みて、自分にも反省すべき点がないか。言い過ぎは無かったか、悪い態度は無かったか、高ぶりは無かったか、御霊に照らされる事が大切だ。御言葉は、自分の目の中に梁があると言っている。「おのおの自分の行いをよく調べてみよ」と。「誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、他の人に対して誇れることではない」と。

 

へりくだって、自分を省み、「まず自分の目から梁を取りのけ」るなら、はっきり見えるようになると言っている。そして、愛によって、相手のちりを取り除く助けができると。目は非常にデリケイトで、触れようとした瞬間、閉じる。不用意に、祈りもなしに、霊的整えも無しにできる事ではない。

 

梁は大きな材木、ちりは見えないほど微少のほこりだ。裁く心が大きな材木だ。相手が悪いと思っているが、実は自分の思い通りでないから、裁いている事もしばしばだ。愛とへりくだりが無ければ、必ず事態を悪くする。まず主の御前で自分の内を御霊に探って頂こう。そうする時、整えられて、御霊により、相手のちりを取り除くために、用いて下さる。

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相手の非を見つけたらそれが気になり、いつの間にか自分は正しいという立場に立ってしまう。そんな自分に真実が見えているのだろうか。主の前にへりくだり、自分自身を吟味したい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係