「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません」 ヤコブ1:19

怒りにも2種類ある。主は、神殿で商売がなされている事に怒られた。細なわでむちを作り、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、腰掛けを倒された。主のような義の怒りがある。もう1つは自我による怒りで、自己中心の肉から来る怒りだ。

 

御言葉は、「怒り」をすぐに表す人は、愚かだと言っている。「怒り」は自制しなければならないと。対人関係で、陰で悪口を言われたり、批判され、攻撃されたらどうだろう。面と向かって、人格攻撃されると、カッとなって、激怒するだろうか。しかしどんな状況であれ、怒りを、即、現すなとすなと言っている。

 

「利口な者は辱めを受けても黙っている」とあり、批判され、どれほど傷ついたとしても、とにかく黙すようにと。怒りが燃えたぎる時は、どうしても感情的になり、制御できない。売り言葉に買い言葉となり、その場の成り行きで、何を口走るかわからない。そして一旦発した言葉は、取り返しがつかない。

 

この事で失敗した人は少なくない。長年かけて築き上げた信頼関係が、一瞬にして崩れ去る。言葉は怖い。まずはすぐに反撃せずに、はずかしめを受けても、黙し、主に祈ろう。ます冷静になる必要がある。罪を犯さないために、人ではなくまず主に向かおう。これは大切だ。心が静められ、その怒りは何に触れるのか、内側が照らし出される。整えられ正しく対応させて下さる。

 

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怒りにも義の怒りと、自我からの怒りがある。悪口、批判、攻撃されると報復したい。自分のプライドが傷つくからだ。しかし感情的に自制なく振る舞うと、必ず刈り取りをする事になる。反撃の前に、まず祈ろう。必ず言わなくて良かったと主に感謝する事になる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係