「主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定められた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている」創世記18:14

アブラハムは75歳の時に、神の召しにより、生まれ故郷を出て、カナンの地へ向かった。ところが幾ら歳月を経ても、子どもが与えられなかった。主は、天の星の数ほど子孫を与えると約束されたが、待てども待てども、サラとの間に子どもはできなかった。そのため、自分の思いと自分の判断と力で、奴隷ハガルによりイシマエルを産み出してしまった。

 

自分の行いに拠り頼んだ、肉による事であった。その後13年の空白の時を経て、アブラハムが99歳の時だった。主が現れ、不妊のサラが男児を産むと告げられた。それを聞いたアブラハムは「100歳の者に子どもが生まれようか」と。通常では考えられない。そのため「イシマエルでいいです」と言った。しかし主は、そうではなく、サラが産むのだと。イサクと名づけよと。

 

彼は、子孫が増えると信じていたが、サラは不妊であり、サラによるとは思えなかった。その後、主は、旅人として再度現れて、「来年の今頃」とはっきり、時を告げられた。サラは89歳であり、常識的に妊娠はもう不可能だったので、心の中で笑った。不信仰の笑いであった。その時に主は、サラはなぜ笑うのか、主に不可能なことがあろうか、来年の今頃、サラには男児ができていると。

 

そして翌年、主が言われた通りに実現した。主の言葉は100%成就する。アブラハムは「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じた」とあり、そしてそれが「彼の義とみなされた」と。信仰とは、主の言葉を素直に受け入れ、信じることだ。それを義とみなして下さる。

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思わず笑ってしまうような望みえない中でも主が成ると言われるなら門は開く。だから希望が湧く。自分には何の力も裏付けもないが、主の御言葉が力だ。信じて待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係