「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた」 ルカ5:16

今の時代、人々は非常に忙しい。時間に追われ、あれやこれやと走り回る。多忙過ぎて、祈る時間が無いだろうか。だが主は、どうだろう。主の周りには絶えず人々が押し寄せた。人々を癒やし、悪霊を追い出し、御言葉を教えられた。慌ただしい毎日に見える中で、主は、朝早くまだ暗い内に、人から離れて寂しい所へ行き、祈られた。

 

御父との絶えざる交わりの中で、なすべき御心を一つ一つと受け取って行かれた。ある人は、ハードな仕事を抱え、連日深夜帰宅でヘトヘトだった。眠る間も無いほどに忙しい。帰宅後は心身消耗しきり、朝は一日の仕事の確認で始まり、時間に追われ、祈れないまま日が過ぎた。

 

段々、平安が失せて、心身、蓄積疲労となって行った。まさに油の切れた状態で、心もきしんで来る。イライラピリピリし、不満が溜まり、思い煩いでいっぱいになる。もう限界に達し、昼休みに近くの公園に出て、一人になり祈りの時を持った。心の状態を告げて、明け渡して行った。

 

主との交わりにより、安堵と平安が戻った。すると午後の時間が全く変わったものとなった。心が軽くされ、潤いがあり、喜びが戻り、平安を持って働けたのだ。主との交わりが無ければ、凄まじいこの世の勢力に流されてしまう。次に、主は、大勢の人々を前にして、人々の需要に応えられたのではない。人々の必要は際限が無い。

 

そうでなく、常に御父と交わり、御父の御心を尋ね求め、御心を行われた。私たちも何もかもするのではない。そうでなく主の御心を行って行く事が大切だ。そのためには、主との交わりが大切だ。主に祈り求める時、必ず御心を教えて下さる。

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忙しい時ほど主に祈ろう。漠然とした焦りや不安から主が守ってくださる。主と結びついていると結果は主に委ねることもできる。仕事や人に流されず主にしがみついていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係