「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う」イザヤ48:10

イスラエルの民に、大きな試練が臨んだ。バビロン捕囚という最悪の事態が起きた。 祖国を離れ、敵国に捕らわれの身となり連行される。国は滅ぼされ、何と屈辱的で、悲しい、苦難の出来事だろう。銀の精錬は、高温の火を通して、不純物を取り除く。高温の熱で溶かし、浮き出た不純物を除去し、それを続けて精錬する。

 

高温であればあるほど、よく不純物が浮き上がる。そのように主は、私たちを「悩みの炉」で精練すると言われている。高温であればあるほど、銀から不純物が浮き上がるように、試練が厳しいほど、私たちの内の、様々な肉や、罪が浮き上がる。それを主が精練し、聖めて下さる。

 

試練が臨む時に、普段、順境にある時には、知る事のない自らの心の内を見せられる。嫌な相手が出て来た時に初めて、自分はこんなにも人を赦せず、報復したく、人を恨み、憎む者である事を知る。罪を憎むのでなく、罪を愛する者である事を知らされる。激しい試みの悩みの炉で、砕かれ、練られ、造り変えられ、聖められて行く。

 

そして「わたしのため、わたしのために、これを行う。わたしの名が汚されないため」と。主の栄光を現す器へと造り変えて下さる。悩みの炉を通って初めて、心砕かれ、素直にされ、御言葉に耳を傾けることが出来るようになる。主への感謝と賛美が溢れて行く。

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悩みや困難をただの煩わしい問題と捉えず、今、主がこの者を練り、聖めようとしていると受け止めたい。主は益になることを教え、歩むべき道に導くと強く約束してくださっている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係