「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください・・あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように」詩篇51:1

ダビデは、信仰に歩んだ素晴らしい人物だった。しかし罪を犯してしまった。バテシバとの姦淫の罪だった。そこで悔い改めれば良かった。だが、それを隠ぺいするために、バテシバの夫ウリヤを殺害するという、更に罪に罪を重ねてしまった。王であり、すべて意のままであり、口をつぐんでいた。しかし何もかもを見ておられた主は、決して見逃されない。

 

預言者ナタンを遣わし、ダビデの罪を真正面から指摘された。その時にダビデは、即、悔い改めたのだ。その瞬間、「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」とダビデの罪は赦された。サウル王は、口先だけの悔い改めであったが、ダビデは真摯に悔い改めた。ダビデの素晴らしいところであった。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、悪であることを行った」と。

 

「砕かれた、悔いた心をさげすまれない」と。ダビデは蒔いたものを刈り取って行く。バテシバとの間に生まれた子が病気になり、ダビデは主に切に祈り、断食をして一晩中、地に伏した。どんなに痛み苦しんだ事だろう。しかし亡くなった時に、ダビデは起き上がり、主を礼拝した。ウリヤを殺害したが、その命がどんなものであるかを、身をもって知らされた。

 

子どもたちが姦淫の罪を犯し、実子は自分に歯向かい、苦しい刈り取りをして行ったが、ダビデは残る生涯、悔い改め、主に従順に従った。失敗してしまうが、人生何もかも終わったのではない。悔い改めて、主により前に進んで行ける。

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ただ神に悔い、その刈り取りもしっかりと受けとる。神の前に真実に立ち続けるダビデの姿に学ばされる。神の前に真実にいたい。神

は豊かに赦してくださる。感謝だ。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係