「そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません」 ルカ12:4

私たちは、どうしても人を恐れてしまうものだ。人への恐れのために、主を証しできないでいるかも知れない。しかし主は、人の前で主を認める者は、主もまた、その人を神の御使いの前で認めると。そして「恐れなければならな方を、あなたがたに教えてあげよう」と。身体を殺しても、それ以上何も出来ない人間を恐れるな。

 

人は何も出来ない。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持った方を恐れよと。真に恐れるべきはこのお方だと。一羽の雀すら忘れられず、神の御前に覚えられていて、神の許しなしに地に落ちることはない。当時、雀は価値の無いものの代名詞だった。無価値な雀でさえ、主の主権と配慮の中にあるなら、ましてや私たちを守って下さらない事があろうかと。

 

そして証しをする時には、「何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配するに及ばない」「言うべきことは、その時に聖霊が教えて下さる」と。証しすべき言葉を口に授けて下さる。不安に思う事も、心配も必要無い。私たちも経験する。主を証しする時に、次々と語るべき言葉が浮かんで来たり、ふさわしい御言葉が浮かんで来たりする。

 

証しするには、勇気が要ると尻込みしてしまいそうだが、しかし、証しする時には、特別に御霊が臨み、力強く働いて下さる。御霊の助けがある。叉、証ししたい相手がいるだろうか。まず相手のためによく祈り、祈りを積む事が大切だ。主は祈りに答えて、証しの機会を与えて下さる。

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日頃、祈ってはいても拒絶されるのが怖くてなかなか証し出来ない。でも、そうして伝えてくださる方がいたから今の自分がいる。恐れず主の導きを信じて、主と受けた恵みを伝える管となろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係