「『外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つや二つではいけません』」Ⅱ列王4:3

エリシャは預言者の集団を従えていたが、一人が亡くなった。その妻が、大変な心痛の中、更に経済的困窮に見舞われた。借金があり、貸し主が二人の子供を奴隷にすると、エリシャに訴えて来た。エリシャは「何をしてあげようか」と、「家に何があるか」と尋ねた。家には油の壺一つだけと。

 

エリシャは、近所から空の器を借りて、その壺の油をつぐようにと。彼女は多数の壺を集め、次々に油をついだ。油は無くならず、器の分だけ出て来た。そして最後までついだ時、油は止まった。それを売て負債分にし、残りを生活費にするようにと。主は彼女の子供たちを守られた。

 

主は、私たちにも「何をしてあげようか」と問うて下さる。そこでは空の器が満たされた。神は虚しい、空の心を満たして下さるお方だ。私たちの心はどうだろう。空の心を様々なもので満たそうとする。富、仕事、趣味、名誉、愛する人、人からの賞賛、自己実現・・しかし満たされない。それで別のものへと、移り渡るが満たされない。

 

神のもとへ、空の、虚しい心を持って行く時に、聖霊で満たして下さる。神以外のもので満たそうとしても、心はいつまでも空のままだ。他のもので埋めようとしていないだろうか。又、器に余分なものが入っていないか。プライド、虚栄心、貪欲・・それなら、主は満たす事ができない。それらを認めて明け渡そう。主は空の器を満たして下さる。

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いらないもの、捨てるべきもので心を一杯にしようとしている。何をしてあげようかとの主から問いに、まず空にしてくださいと祈りたい。空の器で主の豊かな満たしを待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係