「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」Ⅰペテロ4:8

箱舟から出たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ノはぶどう畑を作り始めた。そしてぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。ノアにも弱さがあった。息子のハムがそれをて、外にいるセムとヤペテに告げた。ハムは父のぶざまな姿を見て、二人の兄たちに吹聴するが、二人の兄たちは、着物を持って来て、自分たち二人の肩にかけ、後ろ向きに歩いて行って、父の裸をその着物でおおい、父の裸を見なかった。

 

愛は、人の失敗や弱さをあげつらい、辱めるのでなく、それをおおう。どんな人にも失敗や恥がある。ノアは自らの裸をおおってくれた二人の息子を祝福した。「愛は、多くの罪をおおうからです」とある。律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえられた女性を、主のもとに連れて来た。そして主に、モーセは姦淫の女を石打ちにするよう命じているが、あなたはどうするのかと詰め寄った。

 

群衆は好奇心で見物するかのように、そこにいる。主はじっと座って地面に何か書いておられたのだが、「罪の無い者が石を投げよ」と言われた。すると一人去り二人去り、誰もいなくなった。その女性に、主は「婦人よ」と語りかけ、「わたしもあなたを罪に定めない。今から決して罪を犯してはならない」と。

 

主は愛により、その女性の罪をおおわれた。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は」。私たちも、十字架で罪を赦され、おおわれた者だ。主は、恥と失敗をおおって下さる。主に愛されている。何と嬉しい事だろう。

-------------

人の失敗がよく目につくのに、裁くばかりで愛でおおう事が何とできない者だろう。主の十字架によって罪を赦され、これからも赦し続けられる。主のご愛を少しでも身につけ倣いたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係