「ダビデが主に伺って言った『あの略奪隊を追うべきでしょうか』・・するとお答えになった『追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる』」Ⅰサムエル30:8

前回はダビデが祈らずに、自分の思いで動いた結果、失敗した。その後、ダビデたちが留守宅に戻ると、なんとアマレクに襲撃され、火で焼き払われ女子供は皆連れ去られていた。ダビデも妻たちや財産も奪われ、すべてを失った。皆は大号泣し、泣き明かした。民は、この悶々、不満をダビデにぶつけた。だがダビデはこの窮地により、主に立ち返った。

 

前は自分の考え、肉の思いに従ったが、今は「主によって奮い立った」。そして「主に伺って言った」。どうすべきかを主に問うた。略奪隊を追うべきか、追いつけるのか。すると主は「追え。追いつける。救い出せる」と。600人と共に追いかけた。200人は疲れてしまい、400人で追跡した。

 

すると途上でアマレクの捕虜で、エジプト人の逃亡奴隷に出会う。主の関与だ。彼を助けたところ、アマレクのもとに案内してくれた。アマレクは、溢れる略奪物で飲み食いし騒いでいた。ダビデたちは2時間彼らを打ち、妻子も略奪物も全部取り戻した。何一つ失わなかった。

 

主に祈り、従った結果だった。戻った時、よこしまな者たちが、戦っていない者にはやれないと。ダビデは主が賜った物で主の恵みだからと、同じく分けた。周囲の町々にまで贈った。突如の事態に際し、自分の思いで動くのと、祈って行動するのでは、天地の差が生じる。まず主に向き、祈ろう。

 

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主に頼らないで、自分で動くと失敗する。祈らないで物事をすると失する。主を仰ぎ、主と一つに歩む事を学ばせられる。そこに御霊の喜びがあり、結果を主に委ねる事ができて、平安がある。祈りにより主との関係が培われて行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係