「正しいことばは王たちの喜び。まっすぐに語る者は愛される」 箴言16:13

対人関係で行き違いが生じ、つらくなる事があるだろうか。人からのあの言葉、この言葉がひっかかり、ひどく気になり、思い煩いや不安材料となる。又、面と向かって批判されたり、責められたりする事があるかも知れない。心痛く、落ち込んでしまう。よく顧みて、幾ら考えても、自分に非が無いなら、いちいち心に留めなくてもよい。

 

聞き流すべき言葉がある。心に留めるべきは御言葉だ。叉、もし自分の側に非があるなら、悔い改めて、相手にも謝る事が必要だ。ある人が、友人との帰路で、ちょっとした意見の相違から、言い合いになってしまい、気まずく別れた。帰宅しても心が重く、気が晴れない。平安が無いので、祈りに持って行った。

 

御前で祈り、祈りの中で自分を振り返った。相手と議論になり、自分正しいと思っている。自分は間違っていない。でも、自分の正しさを主張したいばかりで、そこに自我が出て、議論のための議論にっていた事、自分の言い方もきつくて、態度も良くなかった事、愛が無かった事を主から示された。主の御前に悔い改めた。すると心がすっきりし、平安が戻った。

 

すぐに友人に電話して、悪かった事を詫びた。すると相手も、平安が無くて同じ事を思っていたと。こちらこそと謝ってきた。共に晴れやかになり、主に感謝した。言葉で平安が失せた時は、まず一番に主のもとへ行こう。正しく導いて下さる。そして御霊に導かれて、まっすぐに語る者とされたい。

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流してもよい言葉、まっすぐに立っていなければならない言葉をよく悟れるように祈ろう。漠然とした感覚や一時の感情、人の言葉ではなく主の義しさの上にしっかりと繋がっていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係