「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる」箴言5:21

人は皆、失敗をしてしまうが、信仰の勇者アブラハムにも失敗があった。ネゲブの方へと旅の途中に、激しい飢饉に会う。その時、エジプトへ下ってしまう。主から「あなたの子孫に、この地を与える」との約束を受けたのに、約束の地を離れてしまった。主の言葉でなく、自分の思いに従ってしまった。

 

エジプト人は、自分が美しい妻サラの夫だとわかると殺すだろうと彼は恐れた。そのため妹だと嘘をつくようにと。そうすれば自分によくしてくれ、自分も生き延びることができるだろうと。肉の思いを働かせ、画策する。異母妹ではあるが、この場合は故意の偽りだ。

 

では、サラはどうなるのか。まるで自己中心の保身だった。美しいサラは、宮廷に召し入れられた。そしてアブラハムは、サラのゆえに、パロから厚遇を受け、羊や牛の群れ、ろばやらくだ、男女の奴隷を与えられた。しかしサラのこの危機に、主が直接介入された。

 

パロとその家をひどい災害で痛めつけられたのだ。パロは恐れて、彼らを所有物と共に出した。サラは主により守られた。信仰の父アブラハムにも失敗があった。しかしヘブル11章の信仰の人々に名を連ねている。誰しも失敗する。主は、失敗を赦して下さる。主のあわれみは尽きない。

 

失敗から学ぶ事が大切だ。危急の際に、何とかしなければと、自分の判断で動こうとしてしまうが、まず祈ろう。主は目の前の困難をご存じだ。主が道筋を示して、導いて下さる。

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自分の判断で動き多くの失敗を経験する。焦りで何も見えなくなるその時にも、主は私たちを支えてくださっている。経験から学ぼう。信仰人生、ずっと主が目を留め心を配っていてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係