「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)」マタイ1:23

マリヤはある日突然、現れた御使いに「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる」と言われた。この言葉に驚いて、ひく戸惑った。続けて「あなたは神から恵みを受けた」と。どんな恵みかというと「みごもって、男の子を産む」。名をイエスとつけるようにと。

 

「でもどうして」と、マリヤは問うて行く。まだ結婚してないのにと。すると「聖霊が臨み、いと高き方の力がおおう」のだと。「神にとって不可能は一つもない」と。マリヤは夢にも思わなかった事であり、だが主からのこと、主のご計画と受け入れた。

 

しかし当時、未婚で妊娠すると石打ちの刑だ。死を覚悟の上だ。ヨセフを傷つけ、結婚も壊れ、周囲の非難にさらされるだろう。この厳しい中で、マリヤはなぜ決断出来たのだろう。「恵まれた方」と、まずマリヤは神に選ばれた人だった。こんな命がけの状況なのに、御使いは「大変な事ですね」でなく「おめでとう」と。

 

それもマリヤの気持ちを聞いているのでなく、一方的告知だ。もうすでに決められた事だった。そして主は、マリヤが従う事を知っておられた。なぜ「おめでとう」と喜びなのか、「主があなたとともにおられる」からだ。「インマヌエル」これは奇跡だ。どんな危険苦しみがあろうと、今、主が共におられる。問題が無くなる事が奇跡なのでなく、主が共におられる事が奇跡だ。

 

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私たちの信仰人生においても、問題は次々と起きる。無病息災、家内安全等、問題が無い事が救いなのではなく、「インマヌエル」主が共におられることが救いだ。「わたしだ。恐れることはない」と常に共におられる主に、焦点を当て続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係