しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」 詩篇73:28

アダムとエバは、主からどの木を取って食べてもよいが、善悪の知識の木の実は食べてはならないと、命じられていた。だが、エバがサタンに誘惑されて、とって食べてしまい、アダムにも与えた。アダムとエバは罪を犯してしまった。蛇の「あなたがたが神のようになり」という誘惑だった。

 

誰からも命令されず、束縛されず、自分の好きなように、思い通りに生きることができると。罪が入り、主との関係が壊れてしまった。愛と喜びに満ちた交わりが失われ、主の御顔を避けて、隠れるようになった。その時、主の方から彼らを呼ばれた。「あなたは、どこにいるのか」と。

 

「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主のみ声を聞いた」とあり、主が彼らに呼びかけられた。「あなたは、どこにいるのか」、これは物理的な場所のことではない。どこにいるかご存じだ。主との関係のことを言っておられる。今、どうだろう。心に平安無く、思い煩いや焦り、不安で心が重いだろうか。

 

叉、世に浸かっているが、心の奥に虚しさを覚えているだろうか。「あなたは、どこにいるのか」、主は御声をかけておられる。主との関係の問題で、今、主から離れているだろうか。平安の無い状態だろうか。

 

あるいは、主に委ねることが出来ずに自分の力に頼み、重荷にあえいでいるだろうか。御声を聞くなら、あるがままの状態を主に打ち明けよう。私たちの最大の喜びと幸せは、主の近くにいることだ。

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自力の足りなさにあえいでいる時、出来ませんと主に言えるのは何と幸いだろう。世に解決はなく「お前の神はどこにいるのか」と言うばかりだ。どこにいるのか、の主の声に愛を持って応答しよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係