「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」Ⅱコリント10:12

多くの人は、自分に無いものを求めていると言われている。「ああであれば~、こうであれば~」「自分も~のようであれば」と。違う境遇や、違う能力や性格を求める。しかしそれなら現実の自分を否定する事になってしまう。美しい声が欲しい、スポーツ選手になりたい、足の裏は嫌で、華やかな目や口になりたい・・。

 

一生、他を羨んで生きるなら、満足する事が一度も無い人生になってしまう。バラはバラ、百合は百合のそれぞれの良さがあり、特質があり比較が出来ない。意味を無さない。頭ではよくわかるのだが、頭だけだろうか。信仰によって受け取る必要がある。人と比較し、自分に無いもので、人を羨んでいるなら、まずそれを認めよう。思っていない振りをせず、自分の羨望や妬みを主の前に認めよう。

 

それが大切だ。そこから新しい歩みが始まる。そしてそれなくして始まらない。自分が、誰それのようになろうとするのでなく、主が、唯一無二の者として、創造して下さった、そこで主を認め、自分を認めよう。主が創造されたという事は、代わりがない、かけがえがないという事だ。人のようになるという意味では、決して自分を変える必要はない。

 

だが、更に主に近づけられ、キリストのかたちに変えられて行くという意味では、日々に造り変えられる必要がある。主は、満足を下さる。主にあって生きる時、満足できる。もし心に何かが欠けているなら、主にありのままを告げて、心を探って頂こう。主によって満ち足りる心へと導いて下さる。

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人のもので自分を量るという知恵のない時をどれ程、費やしただろう。主に出会い、決して揺らぐことのない主と、主が与えてくださる知恵で生きていける。主が解放してくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係