「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。 わたしは新しい事をする」イザヤ43:19

イスラエルの民は、国が滅び、神殿は破壊され、街は廃墟となった中、敵国バビロンに捕虜となり連行された。バビロン捕囚だ。悲惨な、屈辱的な、絶望的な出来事であった。異国での長い間の捕囚生活、目の前の広大な荒野、もう先の事など考えられなかっただろう。そこに主は、「わたしは新しい事をする」と。

 

この捕囚から解放して、エルサレムに帰還させるという事だ。何という光であり、慰め、希望だろう。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らの横木をみな突き落とし、カルデヤ人を喜び歌っている船から突き落とす」、バビロンを打ち負かすと。

 

そして、先の事、昔の事を考えるな、とは出エジプトの紅海横断のことだ。イスラエルの民にとって後にも先にも無い、偉大な輝かしい奇跡であり、彼らの原点だ。それが不信仰により、今は、バビロン捕囚という苦しい状況にあった。

 

「わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」「荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し」。道路が無い所が荒野で、荒れた開墾されていない土地だ。そこに道を造ること、叉、水の全く無い荒れた地に川を流すこと、これは紅海が分かれる事よりも、更に困難だと言われている。

 

つまり、「新しい事」とは、いっさい人の手によらない、神にしか出来ない事、神にのみ出来るわざだ。ペルシャ王クロスによって民は解放された。神は、しようとすることをされる。私たちにも、荒れた、絶望的な状況の中で、神にしか出来ない「新しい事」をして下さる。

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明けましておめでとうございます。昨年末には多くのあたたかいメールを有難うございました。今年も、主のなさる新しいことに期待し、主に励まされて日々のみことばの配信を続けていきます。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係