「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」 マタイ11:30

くびきとは、平板に穴が二つ平行に開いていて、二頭の家畜の頭部を入れるものだ。二頭を同じ方向へ進ませるためだ。それが無ければ、それぞれ別々の方向へ行く。くびきは二頭を同じ方向へ進ませる。主も私たちに「わたしのくびきを負え」と言われる。主のくびきは負いやすいと。

 

それは身体にフィットして快適、心地良いという意味だ。くびきは、その穴に首をきちんと入れると、快適で心地良いが、嫌がって、もがくと首が締め付けられる。くびきを逃れようとするなら、そのくびきは締め付け、痛いばかりだ。つらいものとなる。これさえ無ければと、自分を苦しめるものとなる。

 

あなたにとってくびきはどうだろう。自分のくびきを「受け入れ」しっかり負う時、そのくびきは平安と喜びをもたらしてくれる。しかし受け入れず、もがく時、それは首を絞め、ただ苦しいばかりだ。くびきを受け入れられなければ、そう出来るよう祈る事ができる。主は助けて下さる。

 

ある人は、目の前の状況が受け入れられず、苦しくてたまらなかった。どうしてもだめで、受け入れられない。心は重くつらい。もがいて悶々状態だ。どうにも出来ない。もう瀬戸際となり、「最悪です。もうぼろぼろです、助けて下さい!」と叫んだ。

 

その時、ギブアップの祈りに答えられ、主の助けが臨んだ。御霊の働きにより、くびきを受け入れる事が出来て、解放された。心が平安なので、それは軽いものと感じられた。

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自分の方法でやろうとして疲れ果ててしまう。重荷や疲れとなるものを持ったままで主の招きに応答しよう。主のくびきは負いやすく軽い。主の御言葉を信じよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係