「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、 彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる。 わたしは彼らの神、主である」出エジプト29:46

出エジプト記は、民の苦難から始まる。民は苦役に苦しみ、うめき、その叫びは神に届く。神により出エジプトが成され、最後は「主の栄光が幕屋に満ちた」と終わる。主は幕屋を作るように命じられた。「わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」と。

 

アロンとその子たちを祭司として任命し聖別し、その所で罪のためのいけにえを献げさせるためであった。律法を与えると同時に、罪の解決、罪のための贖いを備えられた。そして幕屋は、主が「彼らの中に住む」ために与えられると。主が、民の間に住む事が、民を救い出した目的だと言っている。

 

「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知るようになる」と。苦難のエジプトから出されたのは、主が民と共に住むためであった。新約では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」そして「この方の栄光を見た」と。また「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝」だと。

 

「とどまる」=「住む」、主と一つだ。そして将来の最終的、新天新地で「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」と。苦役の奴隷であった民、罪の奴隷であった私たちが救い出されて、私の中に、主が住まわれる。何という光栄、喜びだろう。

 

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単なる外側の教えではなく、主が、私の中に住むために、救い出して下さった。何と驚くばかりに嬉しい事だろう。そこに焦点を当てる時、平安にされ、喜びが来る。絶えず信仰の目を、そのところに向けていたい。そうできるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係