「イエスは彼らに言われた。『子どもたちよ。食べる物がありませんね。』彼らは答えた。『はい、ありません。』」ヨハネ21:5

ペテロは、大好きな主を3度否み、裏切るという大罪を犯してしまい、心はどんなものだったろう。主からガリラヤに行くよう伝えられ、故郷に戻ったペテロと弟子たち。主に合わせる顔もない。自分はもう弟子失格で、心は暗く重かったろう。意気喪失、無力な自分に出来る事は、かつてなりわいにしていた漁しかない。

 

それでペテロが漁に出ると、他の弟子たちも追随した。しかしベテランであるはずの漁においても、魚は一匹も捕れない。ペテロは、自分の人生の大失敗が脳裏から離れず、思いはそこでいっぱいだったろう。主を裏切り、主を捨てた自分。心は空っぽだ。

 

しかしそんな彼らに、主の方から夜が明けた時、岸べに立たれた。「食べるものがありませんね」「はい、ありません」「右側に網をおろしなさい」と。岸辺からの声に。ただ言われる通りにすると、何と驚くばかりの大漁だった。全く同じ光景が以前にもあった。一瞬、ヨハネが「主です!」と気づいた。ペテロが主に召された時のあの原点だ。

 

ペテロは、一刻も早く主のもとへ行きたくて、湖に飛び込んだ。三度否んだペテロ、主を捨てて逃げ去った弟子たち、主はその心の挫折、後悔、傷みをご存じであった。主の方から弟子たちに朝の食事を用意し、ペテロを回復させられ、立ち上がらせられた。

 

私たちの信仰人生のどんな真っ暗な時でも「夜が明けそめた時、イエスは岸べに」立っておられる。ご自身を現わして下さる時、そこに慈しみがあり、いやしがある。主の変わらない愛は尽きる事がない。

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主を裏切ってしまったペテロと弟子たち。心はどんなに重苦しく傷んだろう。自分の力では、何の実も無く虚しい中、「ありません」と認めた時に、主からの指示。その通りに従った時に、大漁。主の愛は変わらない。今、一度従ってみよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係