「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」マタイ6:8

ある人の証しだ。主に導かれ神学校に入学した。最終学年に進む時、手持ちのお金では授業料が払えなかった。規則があり、払えなければ、退学するしかない状況だった。とにかく祈りに祈った。主は、必要は必ず与えて下さるのでは。期限も近づき、ただ祈るばかりだった。祈りに祈った。とうとう期限当日になったが、与えられなかった。

 

仕事も辞めて、遠くの田舎から出て来た。主の御心を確信したはずだった、どうしてなのだろう。だが、与えられないからには、これも主の御心であり、引き揚げようと思った。寮で荷物の整理をしていると、そこに学友が部屋に入って来た。話を聞いて驚いたが、その彼も授業料が払えず、どうにもならない状況にいた。

 

幾ら不足なのかと聞くと、丁度手持ちの金額だった。自分のためには全く足らないが、彼のためには充分だった。それでそれを彼に上げた。彼はびっくりして「君はどうするのか」と。「いいんだ。君がこれで進級できるなら使ってもらえたら、嬉しい」と。彼は何とも申し訳無さそうにしていた。

 

荷物の整理が全部済んで、部屋を出ようとした時に、一つの郵便物が置いたままだった。彼が「見ないの?」と聞くと、「もういいんだ。捨てて」と言った。それで、彼が開けてみると、何と多額の小切手だった。授業料に十分だ。二人で大喜びし、主に心から感謝した。

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主は必要をすべてご存じのうえで求めよ、門をたたけと言ってくださる。徹頭徹尾、主を信頼し祈り求めよう。それならノーの答えも確信して平安に受け取れるのではないだろうか。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係