「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ』」Ⅰサムエル8:22

他国の様子を見たイスラエルの民が、自分たちにも、他国のように王が欲しいと、王を求めた。それは、主の御心に反する事であった。ところが主は、サムエルに、民の声を聞き入れよと言われた。それはサムエルを退けたのではなく、主を退けたのだと。

 

民は自分たちの思いで、王を求めて、主に逆らい、主を退けたのだ。主はサムエルに彼らに厳しく警告し、王の権利を告げよと言われた。しかしそれを聞いても、民はどうしても王が欲しいと言い張った。すると主は、王を立てよと言われた。

 

しばしば、自分が肉で計画した事がうまく行き、画策通りになる時に、これは主が成功させて下さったと勘違いする。認めて下さったのだと思い込もうとするが、しかしそうではない。それは大きな誤解だ。どうしても行くという私たちに、自分勝手な道を行く事を許されただけだ。

 

どれだけ止めても、忠告しても聞かない時、私たちに思う道を行かせられる。そして、自分がした事の結果を刈り取らされる。苦い、つらい、苦しい刈り取りになる。その刈り取りを苦しい訓練とし、学ばせられる。それにより、自我を通すことが、いかに愚かであるかを身をもって知る。

 

蒔いたものは必ず刈り取る事になる。例外はない。肉のために蒔くと、必ず苦しい刈り取りがある。主は侮られる方ではない。今、自分の思いの道に行こうとしているなら、方向転換して御霊に従おう。肉でなく、御霊に蒔くなら、大きな祝福を刈り取る。

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道が開いたように思えても、もし御言葉と反対方向なら徐々に平安は失せて、そこに主の御心はないといつか気づかされる。強い思いは主に明け渡せるよう祈っていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係