「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」イザヤ55:8

信仰生活を歩み始めると、信仰人生、自分の思い通りにはならない、という事がわかってくる。神の思いと自分の思いが違うのだ。自分の思いとしては、これが最善!と思うのだが、そのように事は運ばない。神の思いは違う。そして振り返る時、自分の思い通りにならなくて良かった!と必ず思う。あのまま進んでいたなら恐るべき高慢に陥っていたと。

 

だが、現実問題、目の前の事が思い通りにならないと、焦りや不安、落ち込みで一杯になる。主の計画があり、主の方法と主の時がある事を覚えよう。絶妙のタイミングで、主は事をされる。主の定めた「時」がある。早くも遅くもない。主の時でなければ、事は動かない。微動だにしない。

 

しかし主の時が来ると、突然、事は動き出す。すうっ~と動き出し、驚くほどだ。人は先が全く見えない。目の前の事しかわからない。だが主は何もかも見通しておられる。その主を信頼しよう。人は自己中心というメガネをかけて見るので、歪んで見える。

 

物事が、自分軸にしか見えないので、最悪に見えるが、ご計画の中だ。見えるところ、状況も何もかもがぐちゃぐちゃで、刺繍の裏を見ているようだ。もうだめだと思う。が、実は主の計画が着々と進行している。

 

ヤコブは「私も失う時には失うのだ」と言い、息子ヨセフもシメオンもベニヤミンも、失ったかに見えた。しかし実際は何も失っておらず、ヨセフと再会、飢饉から一族は命を救われ、家族皆で暮らせるという最高の幸せが伏せられていた。良き事にして下さる主を信じていよう。

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いつも目の前のことに動揺してしまう。今は訳が分からないが、最善に向かう主のご計画の中にいると、一刻もはやく心の目を主に向けよう。そう見ていけるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係