「しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばが隠されていて、話された事が理解できなかった」ルカ18:34

弟子たちは、24時間ずっと主のそばにいて、寝食を共にし、親しく過ごしていた。が、主の言葉がわかっていなかった。この時主は、異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、つばきをかけられる。鞭打たれ殺される。しかし3日目によみがえるという事を話された。

 

弟子たちは、主の輝かしい先を見ていた。ローマ帝国を倒し、地上に王国を打ち立て、王となり統御する。それを信じていた。それが嘲られ、無惨に殺されるとは、理解不能で、意味不明であった。時に、私たちも経験する。自らに非常に強い思いがある時に、主から全く違う事を言われた場合、受け入れる事が出来ない。

 

この時に弟子たちは「理解できません。わかりません。教えて下さい」と求める事ができた。私たちはどうだろう。いつも、どんな時にも「主よ。わかりません。教えて下さい」と求める事ができる。そのすぐ後の箇所に、目の見えないバルテマイが出て来る。バルテマイは「私をあわれんで下さい」と主に求め続ける。

 

周囲が抑え込もうとすると、ますます大声で叫び立てた。彼は切に主に求めた。主は「求め」を待たれ、喜んで下さる。求めに「何をして欲しいのか」と問うて下さる。今、もう一つ主がわからないなら、「目を開いて下さい」と求めよう。

 

バルテマイは必死に求めた、心底からの願いが叶えられた。目が開かれ、主がわかった。霊の目と肉の目が開かれた。ぼんやりしていて、真剣な求めが無いなら、求めが与えられるようにと、求めて行ける。

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知っていると思っている事も実はぼんやりとしか見えていないかも知れない。見当違いかも知れない。思い込みを捨てて、見えません、教えてくださいと祈りつつ歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係