「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」 Ⅰテモテ1:19

「良心」は信仰上非常に大切だ。それはどんなものだろう。羅針盤に例えられる。船舶や航空機の方位や進路を測るものだ。羅針盤は正い方角をすので、海路や航路で、正しく進んで行ける。羅針盤が無いと、真っ暗闇で全く方角がわからない。同様に、私たちの言葉や行いを良心の羅針盤に照らすと、方向違いを示される。

 

だが、もしその羅針盤が正常でなければどうだろう。何もかもが狂って来る。羅針盤も故障するが、良心も絶対的なものでなく、教育や培われた価値観で違って来る。正しいと信じ、自爆テロができるし、パウロも神のためと信じ、クリスチャンを迫害していた。

 

私たちは、「心に血の注ぎを受けたので、邪悪な良心をきよめられた」とある。何と感謝だろう。御霊が、御言葉により、叉、平安の有無、促しにより、良心に働いて正しく導かれる。御霊の示しに注意し、ないがしろにせず聞き従おう。御霊を無視し続けるなら、良心が麻痺してしまう。

 

良心が機能せず、麻痺するならどうにもならない。破船だ。どんな立派な船でも、船に穴が開き、水漏れすると沈没するように、良心にも穴が開くなら、信仰が機能しなくなる。それなら破船してしまう。良心にとがめがある時、信仰に立てない。罪責感がある時、まっすぐに信じて行けない。

 

罪は、一つ一つ御前に悔い改めよう。主は豊かに赦し、主の血潮により、良心のとがめはきれいに消し去られる。その結果、平安が臨む。御霊の導きにアンテナを張り、従おう。その時、正しい良心が保たれ、平安に歩んで行ける。更に主を知って行ける。

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自分の良心はすぐに感情に左右され自分の中の正しさに揺れてしまう。主はどう言われているか、つねに主に尋ね、御心の真ん中を歩んでいきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係