サタンは全知全能ではない。神に許された範囲内でしか働けない。ヨブ記の通り「持ち物はいいが、身体はいけない」、次には「身体はいいが、命には触れるな」。神は限度を定めておられ、それ以上サタンも手を出せない。サタンはユダの心に、主を売ろうとの思いを入れた。
サタンは思いを入れる事ができる。しかし私たちはそれを拒否する事が出来るし、受け入れてしまう事も出来る。私たちの選択であり、毎日起きている事だ。そのユダはサタンの声を受け入れてしまい、主を銀貨30枚で売った。無実の罪で捕らえられた主は、サタンにより十字架へと追いやられた。神はサタンを止める事も可能だが、そのように働く事を許された。
結果的にそのサタンは、神の御旨の成就のために用いられた。神は全知全能で全権を握っておられる。サタンは主を十字架の無残な死に追いやったが、その結果、主の十字架は人類の贖いという金字塔を打ち建ててしまった。贖いが成就されてしまったので、もう誰も引き返す事が出来ない。元に戻す事が不可能だ。
ペテロも自己過信のゆえにサタンにやられてしまった。命を捨ててでも従って行けると豪語した。しかし主が捕らえられた時、保身に走り、呪いをかけて誓ってまで、主を裏切ってしまった。しかし主はそれをも予めご存じで、ペテロの将来を見据えておられた。
「サタンがあなたをふるいにかけることを願って聞き届けられた」これはふるいだと。ユダは悔い改めず、ペテロは悔い改めた。ペテロは粉々に砕かれ、自らの弱さを徹底的に思い知らされた。サタンは働くが、神はサタンをも利用し働かれ、私たちを更なる益へと、成長へと導かれる。
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サタンにより手痛い失敗をするが、主はその時も祈ってくださっている。試練も、試みもすべてが主を通って来る。なんと大きな励ましだろう。成長の糧となるよう、いつも主に留まっていたい。