「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」Ⅰペテロ5:6

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」とあるように、私たちの今いる場を与えられたのは、主だ。私たちはどうだろう。今自分のいる場所が、境遇が、不満だろうか。もっと自分は良い地位にいるべきであり、自分はもっと能力があるはず、本来の自分の場所ではないと。ここは不当だと不満に思っているだろうか。

 

しかしそれこそが神が備えられた場だ。実は恵みの場であり、私たちをへりくだらされる場、砕いて下さる場所なのだ。後の者が先になって行き、なかなか昇進出来ない職場、悩まされる近隣の対人関係、時間と労力が取られる親の介護や育児、自分の時間が全く無い有様、思い通りにならない悶々の状況だろうか。

 

そこでこそ、主は私たちを砕き、練り込み、鍛え、訓練される。目に見える状況でなく、霊の目で主の御手をしっかり見れるよう祈ろう。目に見える所は、全く思い通りに行かない、嫌になるような苦しい状況は、あなたの殻を打ち破るため、依存し、握りしめ、執着しているものを気づかせ、自由にするためだ。

 

本来の場所でないと、高ぶる自らに、いいえ、そこがあなたの場所ですと言われる。そこで高ぶりを認め、へりくだろう。十字架の主を覚え、身を低くしよう。その所において、主のかたちへと造り変えられて行く。

 

御手の下にへりくだるその時、そのままでなく、丁度の時に、今度は主が高く上げて下さる。へりくだる者に、豊かな素晴らしい祝福が臨む。

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あの痛い場所があったから、僅かでも高ぶった自我が砕かれていったと今なら思える。あの時も、今も同じように主が置かれた場所にいる。力強い神の御手の下で溢れる恵みを感謝したい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係