私たちの大祭司は、私たちの弱さをご存じで、同情して下さると言っている。新生した私たちは、天へ帰るまでは古い性質と新しい性質が、常にあらがい戦っている。新しい性質は、主を喜び、主に従いたいと願う。しかし生まれつきの古い性質は、自分を喜ばせたい。欲を叶えたい。常に自分が第一だ。
そのため絶えず霊と肉の戦いにあり、葛藤がある。天に帰るまで、私たちに肉の弱さがある事を、主はわかっていて下さる。「多くのものに熱中すると、からだが疲れる」とあり、仕事、勉強、家事育児・・身体は往々にして疲れ果てる。主は肉体をとり、地上に来られたので、この疲れもご存じだ。
主も、移動のため舟に乗った途端、疲労の余り、熟睡してしまわれた。又、主も、御霊に導かれてサタンの誘惑に会われたので、私たちに来る誘惑も試みも、戦いもよくわかっていて下さる。だからこそいつでも恵みの御座に行く事ができる。私たちは力に溢れている時は、主のために働き、主に近いと感じる。
逆に弱く無力でいる時は、主を遠く感じる事が無いだろうか。「何も出来ないお前はだめだ、役に立たない」とサタンの声が聞こえて来そうだ。ますます主から遠ざかる。御言葉はどうだろう。恵みの御座に近づける根拠は何だろう。「あわれみを受け」「恵みをいただいて」とあり、あわれみと恵みだ。
自分の功績にいっさいよらない。一方的な愛顧であり、プレゼントだ。であれば、どんなに疲れた状態でも、すぐに御前に行こう。主は永遠の大祭司だ。主のゆえに、はばかる事なく御前に立てる。
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心身が疲れて気力がなくなるとネガティブな思いに占領されてしまう。心を定めて主に近づこう。主は私たちの弱さに同情し必要に応じた助けをくださる。御前に立とう。