「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」コロサイ3:23

人は生きる上で、何か生きがいが欲しい。自分を満たしてくれるものが欲しい。それには、他人のために良い事をすればよいのか。慈善か、ボランティアか。人の役に立つ事は、確かに自分を満足させる。だが善行をして感謝が無ければどうだろう。犠牲を払い、労してもほめらもせず、感謝もされない。

 

報われない時、心はどうだろう。その善行の動機は何だろう。自己満足、自己実現か。神を離れると、人は、善行も自分のためにしかできない。相手から全く感謝が無く、報いが無ければ、「何と常識のない人だ」とやり続ける事ができるだろうか。

 

私たちは、根本的に人ではなく、主に仕えている。その事が大切だ。すべての事は、主に対してしている。ある人が、ある交流会で、景品の持ち寄りがあった。予算を決め、買い物に出た。祈りつつ捜すと、ピッタリ来る良い品があった。これが導きと思った。予算はだいぶオーバーしたが、平安で、御霊の喜びがあった。

 

もらった人は嬉しいだろうと思えた。損得でなく、御霊に従う事の喜びを経験した。御霊の導きに従う時、主に対してしたのであり、自分の心は納得している。そして何にも代えられない平安がある。

 

感謝されなかった時に、私たちは試される。動機はどうだろう。誰に対してしたのだろう。絶えず御霊が御心へと、私たちを導いて下さる。

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主がなければ、ただ自分の満足だけが欲しくなる。主からすべてのものを受け、既に主にあって満ち満ちている。主に愛されている者として主のために行動できるようになりたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係