「ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた・・」Ⅱサムエル21:1

祈って祈って、祈り続けるのだが、幾ら祈っても答えが見えないという経験があるだろうか。ダビデは3年間続くききんがあった。一向に収まらない。その時、ダビデは祈ったのだが、それは飢饉が収まるように、ではなく「主のみこころを伺った」。この出来事に、主の御心を求めた。

 

主はどう思われているのか。豊作を求めたのでなく、この事の原因を尋ね求めた。するとその祈りは主の心にかない、即、答えが来た。過去にサウルが、ギブオン人を殺すという罪を犯していたのだ。盟約を結んでいたにかかわらずだった。サウルは罪を犯した。その罪を主は見過ごされなかった。そこで、御心を知り、ダビデはその事に対処した。

 

ギブオン人たちが求める通りに、その事の償いを果たした。「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」御心を尋ね、罪が示され、その償いをした時に、主は祈りに答えられた。罪は祈りの妨げとなる。罪がある時、祈りが聞かれない。「あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いて下さらないようにした」。

 

ある牧師が大きな集いで説教を頼まれた。祈りに祈るが、幾ら祈っても語るべき御言葉が来ない。日も近づき、焦りも来る中、なおも祈り続けた。妨げがあるなら示して下さいと祈った時に、ふたをしてしまっていた、赦せない対人関係がある事を示された。恨み憎んでいた。心から悔い改め、相手の祝福を祈った。その時、心が晴れやかになり、平安に満たされた。そして説教は素晴らしく用いられた。

 

・・・・・・・・・

とにかく目の前の、不都合な事態、つらい状況が無くなるように、変わるようにと願いたい。しかし御言葉を見ると、災いは無く、主のご計画がある、主がしようとされている事がある、万事益と。主に無駄が一つも無いなら、目の前の事に、主のみ思いを祈ろう。、

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係