「その人はヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた」創世記32:25

ヤコブは兄エサウをだまし、祝福を奪い取った。兄は激怒。ヤコブは殺されるので逃亡。荒野で独りで日が暮れた。不安と恐れ、寂しさ孤独感に襲われた事だろう。その陥った窮地で、神に出会う。「わたしが共にあり、守り、この地に連れ戻す」との約束を得る。伯父ラバンのもとに身を寄せるが、この叔父が狡猾であり、厳しい訓練を受ける事になる。

 

伯父にだまされ、レアとラケルの二人の妻のために14年の労働を強いられ、更に伯父のために6年間、計20年の苦しい労働をする。騙したヤコブは騙された。つらい訓練だ。やがて神の時が来て、故郷に帰るが、兄の怒りが恐怖でたまらない。一家殺害されるのではないか。肉の知恵で、あらゆる策を練るが、恐怖がもうどうにもならない。

 

彼の問題は、兄を欺いた事だけでなく、「人を押しのける者」との根本的な性質、今に至った強い自我、エゴ、自己中心という罪の問題であった。とうとう主が、ヤボクの渡しで、兄に怯えるヤコブを捕らえ、相撲をとり、もものつがいを打たれた。ヤコブは、主により砕かれた。私たちも自分の強い自我は、自分でどうにも出来ない。

 

ヤコブのように、私たちも主が砕いて下さる。主が砕いて下さらなければ、この強固な自我は自分でどうにもならない。主の砕きは、愛であり、感謝な事だ。もう「名はヤコブ(人を押しのける者)でなく、イスラエル(神の王子)」だと。今、試練があるだろうか。しかし主は試練を通して、最善のご計画を持っておられる。

-------------

自覚していること、いないこと、自分の内に多くのいびつな部分がある。決して表には出さず、主にも明け渡さないところを主が取り扱われる。痛いことも主のご計画だ。そこから学んでいこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係