「王は・・『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです』」マタイ25:45

「靴屋のマルチン」の話を聞いた事があるだろうか。主がマルチンに現れて「明日、お前のところに行く」と言われた。マルチンは大喜びで嬉しくてたまらず、翌朝は働きつつ、窓の外に目を留めていた。外は凍えるように寒く、老人が雪かきをしていた。彼はその老人を家に迎え入れ、温かいお茶を振る舞った。

 

次に、寒さの中、赤ん坊を抱いた貧しそうな母親が目に入った。マルチンは急いで出て行き、その母子を家に招き入れ、暖かいショールを与えた。主はいつ来られるのだろう。まだか、まだかと待ちわびていると、少年が、老人のかごからリンゴを盗むのが見えた。

 

マルチンは少年のために執り成し、一緒に謝り、赦してもらった。一日が終わり、とうとう主は現れなかったと、マルチンは、がっかりした。すると主が「今日、お前のところへ行ったのがわかったか」と問われ、主の姿が、雪かきの老人、貧しい母子、リンゴを盗んだ少年の姿に変わった。

 

主は、目の前の助けが必要な人に手を差し伸べるなら、「わたしにしたのである」と。たいそうな事でなくとも、些細な、小さな事で、必要とする人に与えるなら、主はそれをしっかり受け取られ、豊かに報いて下さる。小さい者とは、普段、余り気にかけない者の事だ。それなら家族はどうだろう。

 

他人には配慮し、丁寧に礼儀正しくし、素晴らしく良い人になるが、家族にはつい甘えが出てしまい、無遠慮で、配慮を欠くかも知れない。目の前の、最も身近な家族こそを、まず大切にしなければならない。そこから従って行こう。

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傍にいる家族には遠慮のない肉の思いで対応してしまうが、また、すぐに改めて、実行することもできるのではないか。いつも祈っている家族に愛を持って丁寧に接していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係