「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて 弱り果ててはならない」ヘブル12:5

信仰人生で、私たちは大小様々な試練に会う。必ず試練があり、それは御言葉もはっきり言っている。主が試練を与えられる。「試み」「患難」「刈り込み」「懲らしめ」「訓練」「鍛錬」「悲しみ」との言葉が幾つも出て来る。信仰の歩みで、必ず試練はあるので、それにどう向き合うかが大切だ。

 

苦しみにも種類があり、①ヨブの受けた一見理由のわからない苦しみ②善に歩んでいて、なお受ける不当な苦しみⅠペテ2:19訓練鍛練のためのものヘブル12:7自分の罪ゆえの刈り取り主のための苦しみピリピ1:29 自分の「罪の結果である苦しみ」は、罪を悔いめるべきだ。主が罪を知らせ、悔い改めに導くために送られている。

 

自らが蒔いたものを、主と共に刈り取って行く事が、祝福の道だ。訓練となって自分に返り、それをも益とされる。そして主は懲らしめを軽んじるな、又、逆に弱り果てるなと言われる。しっかり受け止め「訓練と思って耐え忍びなさい」と。耐えられない試練は無い。

 

その苦しみを通して、私たちは砕かれ、練られ鍛えられ、聖められる。必ず一段階ずつ成長して行く。「理不尽な苦しみ」は、忍耐する時、柔和が形造られる。又、ヨブは試練を通して、主の噂を聞いていたが、今、この目で主を見ましたと告白した。

 

「後になると」「これにより訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」結実を見ると。後に、平安にされる。何と感謝だろう。今、苦しみがあるだろうか。罪ゆえなら悔い改め、そうで無ければ、忍耐できるよう、主に祈ろう。

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やがてわかる時がくると知っているなら、試練の今も光の中だ。理由もなく、仕方なく我慢しているのではない。試練の中も主にあって確かな望みを持ち続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係