「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます」詩篇130:5

私たちにとって、非常に難しい事の一つに「待つ」という事がある。待つことが、なかなか出来ない。現代はファストフードや、即、飲物が出て来る自動販売機に慣らされ、早く、すぐに結果が欲しい、すぐに目に見える形で見たい。そのため自分で動き、自分で何とかしようとしてしまう。

 

主を待てずに、落ち込んだり、思い煩い、不安にさいなまれ、目の前だけを見て、失望落胆してしまう。「待つ」とどうイメージするだろう。順番を待つ、友人との待ち合わせで、待つとか、病院で呼ばれるのを待つ、バスを待つ、病気の回復を待つような、じっと待つようなイメージだろうか。

 

「夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待つ」とある。夜回りは、朝に必ず太陽が昇る事を知っている。毎日毎日繰り返され、経験によって絶対に昇るとわかっている。わかっているが、しかし物理的時間は必ず経過しなくてはならない。詩篇記者は、更に確信をもって、信じて、夜明けを待つと言っている。その夜明けは必ず来るのだから。

 

今は、あなたも主を待てと言われているだろうか。自分の思いや自分の判断、自分の力で動かずに、主を待てと。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに」。主を待つなら、慈しみ深い主を知る事になる。自分の力では動かず、待つ中で、御言葉を求め、主を求めよう。

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待つのは難しい。祈りながらも少しでも何かしたくなるが、朝を信じて眠るように、主を信じてすっかり明け渡せるうに祈ろう。主の最善を信じて待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係