「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」創世記45:6

父ヤコブは、兄弟の中で年寄り子であったヨセフを誰よりも可愛いがった。特別に袖つきの長服を着せたが、それは他の兄弟たちの妬みを買った。ヨセフも彼らの悪い噂を父に告げていた。妬みは憎しみとなり、兄たちはヨセフを殺害しようとするが、ルベンが殺害を止めて、穴に投げ込んだ。

 

丁度そこに隊商が通り、ユダの提案により売られて、異国の地エジプトへ。ヨセフは家族と離され、どんなに不安と恐れであったろう。しかし「主が共におられたので」エジプトで主人の好意を得、祝福された。だが主人の妻に陥れられ、濡れ衣で投獄の身となる。ヨセフの心はいかばかりだったろう。

 

なおも「主はともにおられ」恵みを施され、監獄長の心にかない重んじられた。絶望的な中で、「共におられる主」を信じ、ヨセフはその場その場で、ベストを尽くして生きた。すべてが主の主権と愛の中にある事を信じたので、委ねる事ができた。結果的に総理大臣とされた。

 

主の摂理により、ヨセフが先にエジプトに遣わされ、大飢饉の中、ヤコブと一族を救う事となる。パズルが埋まる時に、主の深いご計画が見えて、主の栄光を拝する。ヨセフは、「私をここに遣わしたのは、神」と信仰によって捉えた。兄たちの悪行でなく、信仰により、それも摂理のもとに用いられた神を見た。

 

人生に起こる出来事を、神のメガネで、神視点で見てみよう。神を主語にして、受け取り直してみよう。今までわけがわからなかった事柄に光が差して来る。神と神のご計画を見せられる。

 

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「エジプトに売ったのは兄たち」だが、信仰により受け取り直すと「エジプトに遣わしたのは神」となる。神が遣わされたのだと。飢饉から一族を救うために。同様に、私たちにも起こる出来事にも神の意図 とご計画がある。パズルが埋まる時にわかるようにされる。