「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、 私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32

二人の弟子が、エルサレムをあとにし、郷里エマオに向かった。主は十字架にかかられてしまい、エルサレムにいても、する事が無い。そのため郷里へ帰る途上であった。彼らは「暗い顔つき」だった。主がローマ帝国を倒し、王国を建て、王となって支配されると信じていた。自分たちの強い思いの中にいた。

 

その主が無惨に死んでしまった。自分たちの期待、希望、喜びのすべてが砕け散った。絶望、失望落胆、無力、虚無の中にいた。主は幾度も、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたが、自分の思いと異なる事であり、人は聞きたい事だけを聞くので、その言葉は全く入らず、信じていなかった。

 

主のよみがえりを信じていたなら、エルサレムにとどまっているはずだった。弟子たちは主の言葉でなく、自分の思いの中にいた。そんな彼らに、主の方から近づかれ、彼らの心中の思いを吐露させられた。この方に望みをかけていた、しかしだめだったと、過去形であった。主は、彼らの暗さの原因を「信じない、心の鈍い」と、不信仰によると言われた。

 

その彼らに主は何をされたのか。御言葉を解き明かされたのだった。すると段々、彼らの心が内に燃え上がって行った。沈んでいた心がよみがえり、赤々と燃えて来た。御言葉に真剣に耳を傾けた時に、彼らは変わった。信仰がダウンする時に、「イエスご自身が近づいて」主の方から近づいて、語りかけて下さっている。今までずっと私たちにもして下さった事だ。どんなに助けられた事だろう。

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霊的にダウンすると、まるで日暮れの道をとぼとぼと歩いているように心もとない。こんなエマオの途上を何度も経験するが、御言葉の真理に触れると心が燃えてくる。主が触れてくださるからだ。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係