「主は、あなたを苦しめ、飢えさせ・・マナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった」 申命記8:3

ある夫妻が、親の自宅介護をしていた。段々認知症も入って来て、医師にもそろそろ施設をと勧められた。だが本人の強い願いがあり、夫婦でも、自宅で最期を看取ることを願い、決心していた。しかし厳しい現実にぶち当たって行く事となり、決して甘くはなかった。

 

朝毎に、夫婦で切に祈った。主に頼り、主にすがる日々だった。時に涙して、祈り合った事もあった。だが、主に頼るということを、初めて経験させられた、大きな恵みでもあった。「あすのための心配は無用です」「あすのことはあすが心配します」が大きな力と支えであった。

 

今日一日だけ生きて行こう、明日は考えなくともよい。この一日のことだけを考え、なすべき事をしようと思った時に、肩から重い荷が転げ落ちた。一日だけで良いと思った時に、思い煩いや不安が失せた。心が救われた。目の前の事に集中できた。

 

そして「耐えることのできない試練に会わせるようなことはなさいません」「脱出の道も備えてくださる」との御言葉に励まされ、必ず乗り越えられる試練であると、最後まで大丈夫と思え、信仰に立てた。日々祈りと御言葉によって生かされた。

 

御言葉によって生きるとの意味を、真に身をもって知らされた。親を見送る事ができたのは、大きな感謝であった。そしてこれは他でもない自分たちのためである事がわかった。主を知るため、成長のためだと。更に感謝が溢れた。

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問題を前にすると自分の知恵や力の無さにまず愕然とするが、主のもとに行く時、大きな慰めを受ける。御言葉によって主は折々に、一歩ずつ導いてくださる。御言葉に立とう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係