「王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした」エステル8:17

エステルの物語は不思議だ。一つ一つの出来事がピースとなり、次々とつながり、まるでパズルが完成して行くのを見るようだ。王妃ワシュティが退けられた後、エステルが王妃とされた。そしてモルデカイが、ハマンのユダヤ人を滅ぼそうとの悪巧みを知る。エステルに、王に特別な計らいを頼むよう伝える。

 

エステルは皆にも断食し祈ってもらった後、命がけで、王に面会を求める。すると許可され、エステルはそこで、王を宴会に招く。そして翌日再度宴会に招き、その時に願いを申し上げると。その夜、王はたまたま眠れないので、年代記を読んだ。そこで時ピッタリにモルデカイの功績を知った。王はモルデカイに栄誉を与えたいと思い至る。

 

翌日、王はエステルの願いを聞き、ハマンの悪巧みを知る事になる。ハマンが処刑され、ユダヤ民族は救われた。どの一つが抜けても、結果が違っただろう。エステルが王妃とされたこと、王がたまたま不眠であったこと、たまたま年代記を読んだこと、モルデカイに栄誉を与えたいとの志・・。

 

それが無ければ、ハマンの奸計が遂げられ、ユダヤ人虐殺が現実になっただろう。ここに完璧に状況を支配しておられる、摂理の神を見る。私たちも振り返って考えてみよう。あれが無ければは、こうはならず、これとそれがつながってと、それらがあって今があると、実に不思議な神の摂理を見せられる。

 

御手の支配があり、計らいがある。何があろうと、主の愛の御手の内であれば、ご計画の内であり、思い煩いではなく、主に委ねて行けるよう祈ろう。

------------

今は望みのない状況に見えても、主のご計画は少しも変わりなく遂行されている。必ず主が救い出してくださる。すべての時が主の御手の中、大いなるご計画に望みをおこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係